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動き回る翻訳者の運命的な(!)出会いを紹介します

景品の鉛筆

最近は中国語の試験の為というには、いささかスローすぎるペースで書き取りをやっている。問題集の選択肢となっている紛らわしい類語に、文例集から例を引っ張り出して写し、発音記号や意味を追記する。こうすれば各単語のニュアンスがもう少し身になって理解できると考えたのだ。

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家の資源を有効に活用するため、随分前に書き取りに使いたいといと買っておいたノートと、家に長く眠っている鉛筆を使っている、大体、「娘が飽きてしまった使いさしの鉛筆がたくさんあるのだ。」と、人のせいにしていたが、ふと今日の書き取りで使った鉛筆を見ると、なんと自分が中学生の時に体育祭の景品としてもらった鉛筆だった。運動神経が鈍く、いまだかつて体育祭で活躍したことがないので、きっと全員にくれたものだろう。

 

私が幼い頃は学校でよく賞品に鉛筆をくれたものだ。特に、しょっちゅう何かしらの標語のコンクールというのがあって、よく入賞だ佳作だと鉛筆をくれた。今は映像字幕の翻訳で訳文の字数を計算するため指を折りつつ訳を考えているが、そのルーツは案外、この標語コンクールにいきつくのかもしれない。

 

また、新興住宅地に住んでいるという自覚はあったが、中学校の頃、私にとって中学校は盤石な存在だった、しかし鉛筆には第八回体育祭と書いてあり、まだまだ新設校だったのだ。そんな意識は全くなく、10年20年30年と変わらずその安定を保つだろうと思っていた。そして実際に今もそのままなのだろう。

 

ここ数年、自分のこれまでの持ち物をひっくり返し、延々と整理を続けている。そうすると地層の発見のように古い時代のものが表出してくるが、本日は中学生の自分と向き合う羽目になり驚かされた。中学校の景品を使って、大学時代の勉強不足の恨みを果たし、人生の後半に差しかかっても、いまだに中国語の勉強を続けている。大人の年齢になったら、中身も大人にがらりと変身できるのかと思いきや、思考回路は全く変わらないままだ。