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動き回る翻訳者の運命的な(!)出会いを紹介します

一筆書きではなく堂々となぞってもいい件

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子どもの頃、私の地元は書道が盛んでした。 私のやっている字幕翻訳も書道のように、ある種「道」を極めるようなアート的な側面があります。

 

私は中日の字幕翻訳を学び、英日の字幕翻訳を学び、今まさに翻訳会社への登録応募しようとしているところですが、並行して最後どうしても仕上げに…とこの秋のクール、中日の字幕翻訳クラスに通っています。

 

字幕の授業は言葉オタクの天国です。一つの題材の映像のセリフを巡って、「おお、そう来たか。そこの表現。わぁ、負けた。名訳。」「(心の中で)いや、絶対私の訳の方がイケてると思う。」「さすが先生、そういう背景なんだ、そこ。」みたいな。想像するに、きっと句会とかスケッチ会とかもこんな感じかしらん。

 

そして、この世界で食べている字幕の先生が魅力的。英語の先生も、中国語の先生もタイプもキャリアも全然違うけど、大好きです。私が字幕翻訳者を志望する理由は、どうもエンタメ好きというより、言葉の表現を考えるのが好き、そしてピタッとはまったときの快感、そしてシーンや言葉を語り合うオタクが好きということのようです。

 

最近プロの門の入口に立ち、クラスで習ったことにも執着が出てきて、がぜん授業の復習の意欲がわいてきました。自分の原稿に、「わー、もっとこうすればいい訳だった。」「ここの表現まずかった。」という言い訳・後悔・もう一回という気持ちを帳消しにするべく、理想の訳で上書きするのです。

 

なんだかそれが、禁断の習字のなぞり書きのような気分なのです。理想の文字になるように上からもう一筆なぞってるような感じ。別に字幕学習としては悪いことは何もしていないんだけど、ひそかになんか違う楽しみを見出しています。

 

ちなみに少ししか習ったことがないけど、中国流の習字は狙った形をつくるために、もっと日本よりトリッキーな筆の動かし方をする印象、お国柄ですな。またいつか趣味として習字も再開する日は来るかな…。