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動き回る翻訳者の運命的な(!)出会いを紹介します

映画「9人の翻訳家」を見た

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テレビ「王様のブランチ」の映画評で「9人の翻訳家」を見て、娘「このミステリー面白そう」、私「ミステリー×翻訳家、絶対見る!」と意気投合して、一昨日見に行ってきた。

最初に結論。ミステリー好きも翻訳業界関係者も、両方面白いと思うので、絶対見に行ったほうがいい。娘も私も大満足だった。

gaga.ne.jp

ミステリーとして、えーっ、こんな結末?という、どんでん返しが3回転ぐらいある。
映像はとても美しい。そして、とてもフランス映画っぽい素敵な音楽が、実は日本人の三宅純さんが担当、すごくリスペクトされていてエンドロールに二回もお名前が出てくる。

このストーリーは、全世界で人気の小説である、ダン・ブラウンの「インフェルノ」を翻訳する際に、内容の漏洩防止のために翻訳者が地下室に集められて翻訳したという実話からヒントを得た作品とのこと。しかし、この非人道的という設定の幽閉環境、いいなぁと思った私は変態なのかな。家族がその外で安全できちんと生活しているという前提ならば、何者にも邪魔されずに、一定期間ヒット作の翻訳に打ち込めるなんて最高じゃない?単機能なのに、日々生活の雑事に煩わされながら、マルチタスクでなんとかやっている身からすると、そんな気がするのだった。インフラは豪華で、娯楽も運動も食事も配慮されているのですよ。人権感覚は東アジアと欧州では相当違うかもしれない。それとも私、やっぱ、社畜体質なのかな…。

実際、この設定ではネット禁止なので、ネットの調べ物ができない翻訳はいまや非現実的だが文芸翻訳ならできるのかな?昔は紙で調べただろうけど、図書館だけって…。

私のお気に入りのシーンは、デンマーク人のワーキングマザーが心情を吐露するところ。万国共通の思い。そして、冷徹なロシア人警備員が金の切れ目でいきなり人道的に変わるところ。

何より私はずーっと、生活と仕事に追われるハウツー系生活に追われ、二十数年すごしてきて、やっとこの文学的生活に近々移れるそんな今、この文学的世界に憧れているのかもしれない。

娘とこんな大人の作品を楽しめる日が来るなんて感激。お互い、別々に映画を見ていて、一緒に見たのは「崖の上のポニョ」か「怪物くん」以来かもしれない。

実はぐずぐずしていて、最初渋谷で見ようと思ったのが到着時間が、予告の広告時間を差し引いても、最初のシーンを見逃しそうになり、やめて1時間半後の新宿で見た。映画の後の用が渋谷なのに「なんだかなー。」と見るまで思っていたが、映画の冒頭シーンは当然大事。これから見る方は、見逃さないように行かれることをおすすめする。

翻訳業界の今後の人探しは?

今の翻訳業界の大きな話題の一つは、機械翻訳だから、去年から機械翻訳にまつわるお話を聞くことが多い。

本日は日本翻訳連盟の「通信社と放送局が開発するニュース翻訳MT最前線」というセミナーに参加した。東京大学の中澤先生、NHK放送技術研究所山田一郎氏、NHKエンジニアリングシステム田中英輝氏、時事通信社津田明氏、時事通信社朝賀英裕氏という錚々たる方々の登壇だ。

「えっ、ニュース翻訳と言えば、最も最後まで機械化が難しそうな領域では?」と思ったら、やっぱり「最後まで難しい」かはわからないが、様々な研究の努力・進歩を聞いても、まだ現状ほとんどの用途ですぐ実用として使うのは難しい。

翻訳者でも言葉のこだわりや、文章力が高いほうだというのに、ジャーナリストの言語レベルはさらに高いだろうから、要求レベルも高い。訳文に対する許容範囲も常人より狭いだろう。

中澤先生のお話を伺って、ようやくニューラル翻訳の仕組みがブラックボックスのイメージから、もう少し具体的になった。大いに語弊があるだろうが、翻訳結果を例えるならば最近時の私のように、大人としての理解力・表現力があがり、若い頃よりは比較的滑らかに言語表現できるようになったが、大ざっぱになり、「えーっと、あれよあれ、名前が覚えられない」「数字がちゃんと再現できない…」みたいな。バチっと飛ぶ訳抜けという物忘れ的な現象も発生する。なんだか、ちょっと我が身にも似て耳が痛い。その理由は、単語は数字化され、ベクトルとしてとらえられているので、相対的というのか、固有名詞や数字が絶対的にA=Aとならないのだそうだ。

ジャーナリストは翻訳者にまして、機械翻訳の結果に厳しい。それは当然だ。ジャーナリストの情報の核である5W1Hが違ってきたら、許さないだろう。

しかも、翻訳者だとマーケティング資料や字幕翻訳・文芸翻訳でもなければ、実務翻訳では、訳文は最大限工夫するにしても、あまり大きく分かりやすさのための編集はできないが、翻訳記事はジャーナリストが分かりやすさのために、大胆に編集や補足をなすことができる。その能力が機械にあるかと言ったら…。
普段、翻訳者が機械翻訳に対して言っている文句を、ジャーナリストはさらに増幅して感じておられるさまに、在席の翻訳関係者も「そうそうそうそう」とうなづいて聞いていたことと思う。

質疑応答で、参加者の「では、いったい、いつ、固有名詞や数字や訳抜けは解決するのか?」と研究の見通しへの問いの答えの中で、中澤先生は「必ずしも、機械翻訳の中で解決しなくてもよいかもしれない。前処理・後処理で解決する方法もあるかもしれない。今は、それをやりたがる人がいないのが問題なのだ。」とおっしゃった。

私は、それを聞いて、後処理をする人を翻訳者・翻訳志望者という従来の関係者から探そうとするから難しいのではないかなと思った。私が会社員時代、輸出部門にいた時、取引先の商社のアシスタントの女性のチェックはいつも完璧だった。様々な船積書類のチェック・取り回しは彼女たちに任せておけば安心だった。人事部門にいた時、人事部門はルーティン業務が非常に多く、入力の鬼やチェックの鬼がたくさんいた。決まった仕事は完璧で熟練していて高度であるが、新しい仕事はやりたくないという人が相当数いるのだった。その手の仕事は得意ではない私は、本当にその仕事の質を尊敬していた。

固有名詞でしょ?数字でしょ?訳が抜けてないかどうかでしょ?チェックポイントがはっきりすれば、あの人たちにチェックしてもらえば無敵なのにと、いろんな昔の仲間の顔が浮かんできた。

翻訳会社は、今後の人探しの方向性を変えたほうがいいかもしれない。MT/PEを担う人材に向いた、日本の仕事の品質の高さを支えてきた事務要員、世の中にたくさんいますよ。よもや翻訳業界に自分が役立つなどと思ってもみないで市中に存在している。

ともあれ、今どき機械翻訳のように発展の進捗がこんなに早い業界はあるだろうか、やっぱり面白くて目が離せなくなりそうだ。そして、ニュース翻訳という難度の高い翻訳ジャンルにおいて果敢に研究開発に携わっておられる通信社と放送局のMT最前線におられる方々のお話、翻訳記事配信の現場に携わっておられる方のお話を聞いて本当に興味深かった。

会場も広くなったので、翻訳関係者はぜひJTFのセミナーに参加したほうがいいと思う。

 

 

仕事のなだれ状態について

年が明けたら、あの仕事とこの仕事…。そして、A社に訪問。

ぐらいに思ってたら、三が日開けたらすぐ、4日から、明日までにこれ訳せない?次は今週中にこれ訳せない?ドドーン。
かくして、正月明けの仕事1週目は、パズルのような時間割になってしまっている。しかし、それはそれ、これはこれで、昨日今日はA社に取材スタッフとして訪問!今年初めてのオフィスビルに足を踏み入れると、企業の皆様はもうお仕事全開モードで大いに襟を正される。

日々、日本企業おしなべて疲弊しているような偏見があり、翻訳を通して垣間見る中国企業の勢いに圧倒されているのだが、この度取材を通じ、日本にも生きのいい攻めの会社があることを知り、話を聞いてスカッとする。お会いする方ごとに、仕事への熱量をメラメラと感じる。

信じる商品があって、いけいけどんどんの会社っていいなあ。このまま成長して、この業界における「世界の日本ブランド」になってほしいなあと強く思った。世界の日本ブランドって、家電・自動車等成熟感が強くて、勢いというイメージはあまりない。「まだ、これから世界の日本ブランドになるかもしれない」などという勢いは、今の時代本当に貴重な気がする。

この会社は、世界の日本ブランドになる前に、今は日本の日本ブランドとして攻めているが、結構保守的な関係者も多そうだ。まあ、批判する方のおっしゃることを聞いてみると、ごもっともだ。確かに自分がその立場だったらいやだなと思う。しかし、業界においては、ワープロがPCに、ガラケースマホになるのと同じで、変化は必至なのだから、私としては日本ブランドが世界をとってくれるように応援したい。この会社が、そのごもっともな問題点を、ゆくゆく技術で解決してくれればいいだけの話だし、この会社がやらなければ、世界のどこかの会社にやられてしまって、外国の製品を日本でも使うことになるだけだからだ。

一方で、帰宅後は、「日本にじわじわと中国企業という印象があまりなくサービスが浸透しつつあるB社」の気迫あふれる資料を翻訳。私の訳すセールストークで、この熱がお客様に伝わればいいと思って、そこの会社の営業マンがのりうつったつもりで訳している。日本人の日本語の資料で営業されたら、より外国企業感なくなるだろうなと思ったりはするけれど…。

やっぱり、自分がもともといた会社がかつてはベンチャー精神に富み、中国事業をはじめ、変化の激しい仕事ばかりやっていたので、今でも、変化に果敢に挑んでいく人の話にかかわると腕まくりしたくなる気分になる。

仕事の神様、今年も面白い仕事をありがとう。本当に学校卒業以来ずっとほぼ面白い仕事だけをやっている。そういう意味では仕事運強運。立身出世はないけれど。しかし、主婦の神はあまりに弱い。いつになればプロになれるのか。今は適量の仕事しかしていないが、あまり改善しない。

やっぱ、翻訳も面白いですよ。なんせ企業が真剣にお金を出してまで外国人に伝えたいようなネタを扱ってるんですから。…何も具体的なことが言えなくて、これを読んでる人いたら、どう思うだろう???ま、

「やっぱ、私も翻訳やろうかな」、かな?自分で体験して知れ、か。

私の最後の七日間

昨晩、テレビで「ふたりの“最期の七日間”」という番組を見た。

www2.nhk.or.jp

www.asahi.com

がんで70才でなくなった女性が、夫にあてて、余命いくばくもない時に残した「最後の七日間はこう過ごしたい」という詩がテーマとなっている。ご子息は「こんなささやかな希望をもっていたのだなあ」と言っていたが、とんでもない。そこから、彼女の丹念な生きざまが垣間見え、なんて立派なんだろうと思った。

翻って、私がもうそろそろ最後の「七日間」だと思った時の詩は、絶対こうはならない。

パパちゃん、大変だ。あと私も七日間ぐらいだと思うの。すぐにできるだけ、ごみ袋を買ってきて。「今から片付けるの?昔の引っ越しの時も大変だったなぁ。」

料理もっと上手になりたかったんだよね。自分で作って家族で食べたいものがいっぱいあったから、料理本がこんなに。「まあ、今の料理でそこそこおいしかったから、いいじゃないか。」バサバサバサ。

実は刺繍を趣味にしたかったんだ。何回かやったことがあるんだけど、楽しかったなあ。私って雑なようで、すごい細かい作業ができることもあるんだよ。なんにしてもこの世では趣味に手芸をやる時間はなかったね。バサバサバサ。

最後まで、中国語を仕事にしてたけど、思うほど上手にならなかったね。完璧にしたいと思ってたから、本がこんなに。「もう、十分上手になったからいいじゃないか。」「もうちょっと上手になりたかったよ。」バサバサバサ。あらやだ、ほとんど捨てたと思ってたのに、英語の本も結構ある。いじましい。

ビジネス本も読んでないから捨てられなくて、小説読む生活にも憧れてた。「この期に及んで、ビジネスはないだろう。小説もKindleにだって入ってるんだろう?片付け終わったら読めるさ。」バサバサバサ。

服も相当捨てたんだけどね。もう、着倒してるもんね。捨て捨て捨て。あ、この着物をアレンジして作っていただいた服だけは置いとこうか。誰かこういうのが好きな人にあげて。娘どうかな?

書類とりあえず、全部捨てとくから。もしないと困るまずい役所の手続きとかってなんだっけ?そもそも、公私ともにこんな楽しいことやったなっていうのを整理したかったんだよね。随分前に大整理したんだけどな。「もう、いいよ。大体覚えてるから。」

おばあちゃんのもの、もっとスッキリ整理しときたかったんだけどね。なかなか、自分のものじゃないと余計に難しかったね。でも私の代までとっといてあげたんだからもういいよね。私と一緒に処分だ。

デジタルデータも整理しようと思ってたんだけどね。もう全部消しちゃえばいいか。あっても困るもんね。

あー、大変だった。袋だらけになっちゃった。娘に会えるかな。今日何してるんだっけ。海外出張?仕方ないよね。ま、テレビ電話でよく話してるし。「ごみは捨てろ」と繰り返し言っておかないとね。今日電話しよう。

ごめんね、パパちゃん。最後までこんなに慌ただしくて。「いつものことじゃないか。」一応若い時にも努力してみてこれなんだ。ごめん。ま、生きてる間に手を付けられただけよかったか。

うーん、めっちゃリアル。いやだ。最後はもっと静かに楽しく過ごしたい。やることない状態になってみたい。思い出話とかしてみたい。片付けは身体が動く間にやっとかないとだめだ。引き続き、片付け頑張ろう。今回片づけたらもう増やさないようにする。結局、そんなに大事だと思っていないものを前もって捨てるのが苦手だから、ダメなのかな。

ちなみに、素敵なほうの「最後の『七日間』」は本にもなっている。 番組で、おやっと思ったのは、このご夫婦は私たちより大分上の世代の方だが、ご夫婦で下の名前で呼び合っておられた。本当に自立した、生活に美学をお持ちの方ですばらしい。

妻が願った最期の「七日間」

妻が願った最期の「七日間」

 

 

池袋で中華、爆食い

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12月29日、年末年始の都心はすいているものと思っていたら、池袋の端っこの中華店は劇込み。一軒目に断られ、二軒目になんとか入ることができた。池袋には本場過ぎる中華がたくさんあるので、一軒目がベスト、二軒目が次点ということではなくて、現在地からの距離による選択である。

そもそもは、お正月を前に母を美容院に連れ出したついでに、久々に三代で揃って外食。美容院は、担当の美容師さんがイケメン、母に優しい、腕がいい、予約がとりやすい、そして近いと非の打ち所がない。なんという穴場だ。

みんな家で掃除をしたり、年末の買い物をしているのかと決めつけで思っていたら、池袋の中華店は仲間と忘年会をしている人あり、家族連れあり、なんせ人がいっぱいだ。

行ったお店は台湾料理の店ということだったが、池袋はどこにいっても本格四川と銘打ったメニューがあり、ここも台湾料理、本格四川メニューありだった(笑)。これは池袋に四川の人が多いのか、中国人のコックなら、基本四川はおさえているからこうなるのか謎である。私としては、東京にもっと広東料理上海料理台湾料理の店が増えてほしい。

まず、泡菜(中国ピクルス)からおいしい。ああ、なますの季節だなあ。
唐揚げ、もやしに角煮をトッピングしたもの、豆苗炒め、大根餅、黒酢豚、エビとアボカドのあえもの、春巻、ニラ饅頭、フライドポテト、魯肉飯、小豆の餅の天ぷら
ジェットコースターの勢いで食べる。あまりのことに前菜以外の写真も撮ってない。まだ、忘れているのがあるかもしれないな。酢豚と春巻が特に美味しかった。上品な酢豚、ボリューミーな春巻でした。今回食べきれないから頼まなかったが豆腐干も食べたかった。全く男子3人並みの爆食いぶり…。

とりあえず、泡菜と酢豚うちでも作ってみよう。普段は中国のサイトを検索して中華をつくっているが、最近譚彦彬さんの本と、「家庭でできる神戸中華料理屋さんの味」という本をゲットしたのだ。昔は現地の味でないとだめと思っていたが、日本人の海外経験も増え、口も肥え、日本人の口を通しておいしくなるんだったら別にいいと思うようになった。どっちでもおいしければいい。

それにしても、せっかく読んでくれた人になんの情報もないので、お店に何の義理もないが、お店の名前を書いておく。夜来香という池袋で長くやっているお店です。西口で丸井で買い物した後に中華食べたい人はどうぞ。

夜来香 FORMOSA 池袋店
〒171-0021 東京都豊島区西池袋3-29-2 三原ビル2F
2,600円(平均)650円(ランチ平均)

 

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大家さん

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skycoco さんによる写真ACからの写真

今朝、すぐに乾かしたい服があって、早朝からコインランドリーに行った。
帰りにばったり、大家さんに会った。

というか、自転車に乗っていて小柄なご婦人とすれ違ったとき、何気なく会釈したら、その方が何か反応した。しばらく行ってもこっちを見ていて、知っている人みたいだ。お互い近づいたら大家さんだった。どうも私は視力がさらに悪化しているらしい。

大家さんというのは、前に住んでいた家の大家さんだ。今の家に住む前、新婚当時、借家に住んでいた。隣に大家さんが住んでいる、昭和な感じの家だった。大家さんは電気工事をやっている電気屋さんで、ご主人は木彫が、奥さんは折り紙が趣味だった。奥さんは植物が好きでいつも店先の植木鉢のお花をきれいに手入れしていた。残念ながら、家はつい、昨年取り壊されてしまった。

この家に住んでいたころ、若手として昼夜を問わず仕事をして、飲みにももれなくついて行って遅く帰ったりしていた。お友達が夫に貸してくれた素敵なビートでドライブにいったりもした。その後、妊婦になって、つわりで信じられないぐらい体調が悪くなって入院したりした。
そして、生まれてからの育児休暇中も別の原因で体調が悪いままで、産後を助けてくれた母が家に帰った後、元気なく赤ちゃんのマドと家で過ごしていた。そんなとき、大家さんは、よく地元から送ってきたといって、野菜をおすそわけしてくれ、様子を見に来てくれた。昔は商店街であった通りに面していて、事務所みたいな少し変わった作りの家であったが、駅からの道も好きで、私たちはそこの暮らしがとても気に入っていた。


やがて、マドが1歳になり、会社に復職するのを機に、母と本格的に同居することになり、もう少し広い今の家に引っ越した。それからは、日々の生活に追われ、大家さんとも疎遠になってしまった。

2年ほど前のある夜、駅前でばったり大家さんに再会した。ご主人は震災の年に亡くなられたという。ご自身もがんと折り合いをつけながら、今も元気に地域の活動に参加されているということだった。母と同い年であることも分かった。

いつか、お世話になったお礼にきれいなお花の鉢植えをもって行きたいな。この近所の昔の商店街の話をお聞きしたいなと思いながら、あっという間にまた1年、2年と過ぎていった。お宅も処分されて、いよいよもう会えないのかと思ったら、また最近、半年ぐらい前にばったりうちの前でお会いした。近くで毎朝ラジオ体操をされているという。

今朝も、ちょうどラジオ体操の帰りだったそう。素敵な手編みの帽子をかぶられて、年齢にはとても見えない。近所づきあいもあまりない街中に住んでいて、私にとっては大切な隣人だ。本当に縁があると思う。

来年こそはお花の鉢植えを差し上げたいと思う。

老母が歌うバースデーソング

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昨日は娘の誕生日だった。

先日、いろんなお祝い・お年玉等を全部足したことにして、高い高い高いiPhone 11 Proを買わされたのでプレゼントはなしだが、ケーキは買ってお祝いした。
そのケーキ、当日いつものケーキ屋さんで作ってもらって夕方買い、本人は遅くまで仲良しの友達と遊んでいて、翌日やっとみんなでたべるという相変わらずの我が家的ペース。半日おいたので「Happy birthdayのチョコがちょっとくたった。」と娘に怒られる。

ケーキを前に、母が「クリスマスか?」という。「クリスマスのケーキはこないだ食べた。今回は、マドの誕生日だ。」というと、「お祝いをあげんといかんな。」と言う。今朝は何度もこの会話。
ケーキは本人が切って、私がお茶をいれる。数分おきに同じ「お祝いあげないと」という会話がループしたところで、遮るように私が「ねえ、おばあちゃん。ハッピーバースデーでも歌ってよ。」と言った。

そうすると、母は歌ってくれたのだ。ハッピーバースデーをフルで。

母はかつて自分の音痴を大変気にしていて、私の幼時から記憶のある限り、歌を歌うことは皆無だった。「歌が上手な人はいいね。私も何か一曲ぐらい何かの席で『一曲』と言われたら歌えるような、持ち歌になるような曲でもあればいいのに。」とよく言っていた。

ところが、孫が生まれて歩き出すようになった頃、母が娘を抱っこして童謡を歌っているのを聞いて心底驚いた!私、そのとき初めて母の歌を聞いたので。孫の力、愛の力は大きいなあと思った。「歌」って、母と同じく、私もなんとなく人前で歌うもののような意識があったけれど、こういう内心から湧き上がる気持ちを表現する手段でもあるんですね。


今日の「ハッピーバースデー」は、その時以来、久しぶりに聞いた母の歌。
心の底から発せられた歌声に娘と聞き入った。

今年、マドもいいバースデープレゼントをもらったものだ。