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動き回る翻訳者の運命的な(!)出会いを紹介します

無常とは常では無いということだったのか 今日少し分かったこと

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今日テレビをつけたら、中国四川省チベット族の村が現政権にわずか3年で漢民族に同化させられた過程を描いたドキュメンタリーをやっていた。
そのとき最初に浮かんだ考えは、もっと昔に訪れておけばよかったということ。一方で、漢民族主導で整備された村は、換骨奪胎、似て非なる姿に見えるけれども、しかし五百年千年のスパンで見たら、近隣の民族同士の差不多な変化なのかもしれないなとも思ったり。

番組中、チベット仏教の修行僧の発言だったか、「無常」という言葉にくぎ付けになった。おお、「無常」とは「常」では「無い」ことか!

私は、今の日本の「常」への執着にずっと違和感を持ってきた。絶対的な正解が与えられると思っている若手ちゃんにも、「~であるべき」いう考えの呪縛でがんじがらめになっている輩にも違和感があった。

その違和感を強く認識させられるのは、外国から帰ってきて、電車やバスに、携帯で通話するなとか、ダイヤが遅れるから急いで乗れとかしつこく言われ、到着時刻が1分遅れてすみません的な世界に引き戻されるとき。心の狭さ余裕のなさに悲しくなり、「おかげで確かに便利だけどさ」と複雑な気持ちになる。
そして、私に言わせれば、絶対的な正解などなくて自分にとっての正解は自分で判断するしかないし、「~であるべき」と思っても、異常もあれば、変則もあるし、往々にして思い通りにならないのがデフォルトで、うまく行けば当たりだと思っている。当てるためのあの手この手を考えるのが私だ。

それは多分に、30年前バブルの日本から貧困から脱したばかりの中国へ留学して、タイムスリップとでもいうべき異文化体験をしたことと、同じく大学時代に浅井信雄教授の講義で同じ事実も西側から見るか、クルド人の視点で見るかで全く見える面が異なるということを教わったことが大きい気がする。

その後、30年前の北京から今の北京は激変、故宮みたいな名所旧跡しか昔の面影がないと言っても過言でなくなった。しかし、かくいう東京だってかつて激変してきたのだ。私の上の世代は、自分の子どもの頃の東京は全く残っていないと嘆いている。

高校時代に習った、「祇園精舎の鐘の声」に続く「諸行無常」は、なんだか退廃的というか物悲しい響きで、連なって「花の色は うつりにけりな いたづらに」的な世界も連想させ、何もかも変わってしまうのねとため息をつくようなイメージを持っていた。だから修行して現世の欲を克服した人がやっと受け入れる世界なのかと思っていた。

しかし、中国語を読むように「常で無い」と解釈すれば、もっとニュートラルに「世の中、常に変化しているのが普通なんだよ」と、普段の自分が感じていることが無常ということなんだと、疑問が氷解とまではいかないが、表面が融解したような気がした。「私の無常」は短調というか琵琶の調べのような物悲しい曲から、ヒーリングミュージックぐらいの転換を見せ親しみがわくようになった。
そもそも、諸行無常という言葉の解説を読めば、「仏教の根本思想で、三法印の一つ。万物は常に変化して少しの間もとどまらないということ。(広辞苑)」と悲観的でもなんでもないから、勝手に物悲しくしていたのだ。若い時の思い込みって恐ろしい。