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動き回る翻訳者の運命的な(!)出会いを紹介します

大切な人をほったらかしにしてしまう悩み

今週のお題「大切な人へ」

大切な人は誰か、それは家族。はっきりしている。しかし、自分や家族をあまり大切にできていないのが私の悩みだ。私は長ーい間、家の片付けに取り組んでいるが、一進一退だ。大分減ってきたもののすっきりしたとは言い難い。

昨日、ふっと、「本格的に何かをやること」を後伸ばしにするために、片付けを後伸ばしにしているのではないかと思った。「片付けが出来てないから、〇〇ができない」みたいな。確かにそう思っているのだが、自分で自分をその状態に持って行っているのかもしれない。

もともと、家のバランスが崩れたのは、仕事や子育てのバランスが崩れた時で、もう7年ぐらい積みなおしをしている気がする。その7年前のきっかけは、人手不足で会社の仕事の量が二人分になり、夫が単身赴任し、母が主婦引退するというトリプルパンチがきっかけだった。

その後、会社を辞めてからも思ったほどは進まない。片付けに集中しきれずに、今これをやっといたほうがいいと思うことはどんどん手をつけてしまうので、消化不良な何かがまた積みあがっていく。

私が執着しているのは思い出系である。なぜかとずっと考えていたが、あるときふっと思ったのは、「幸せだった過去をもう一回追体験したいから」という言葉が浮かんだ。まことにめでたいことだ。未整理なものがたくさんある。

あと、17-8年前に友人に勧められたある本で診断したら、私は「生まれついての記録屋」と診断され、それが心に残っている。言霊の影響は大きいのだ。その記録屋を自認しながら、一向にきちんと記録が残されていないから葛藤なのだ。

「なぜ、記録を残したいのか」と思ったときに、娘に語り継ぎたいからだと気づいた。娘は脱活字世代なので、字数は多くないほうがいい。それに気づいてから、時々思いだしては娘が生まれてからのことを思い出して書いている。これが、完成すれば、日時を確認するためと思っている、エビデンス用の紙ゴミはすべて捨てられるのだろうか。大体、誕生から5年前ぐらいまで書けた。あと5年分頑張って書こう。

頭ではどうすべきと思っていても身体がついてこないのが悩みである。家族に快適な生活環境を提供したいし、おいしいものを食べさせたいし、手続きも歯医者も行かないと。それに直面して取り組むことができていない。

同様に自分もいまいち大切にし切れていない気がする。美容とかもほったらかしだし、これがいいとわかっていてもいいことに中々手が付けられない。

それにしても、テレビ番組では本格的なごみ屋敷の人でも数日で片が付くのに、いい加減この状態にけりをつけなければという気になってきた。ミニマリストの動画をいくつも見て、気分を盛り上げている。特に「ミニマリストしぶ」さんの話を聞いて、私は非常に彼と考え方のパターンが似ているのに、なんでミニマリストになれないのか?と思ったらやる気が上がった。

しぶさんを見て、ゆとり世代教育の本来目指した姿と言うのか、それぞれ才能のある人がのびのびと才能を生かしていて、この年代は若くして尊敬すべき人が多い。すばらしいと思う。

今のところの私は、大事なことはしぼれていても、次点のどうでもいいことが割り切れない。もう、そろそろ大事なこと以外のその他のことを全て手放さないといけないときに来ている。

そうじゃないと、人生が終わってしまうから。もとは収集癖が結構あったけれど、人生後半だと思ったら、集めたものを使えるようになった。あと、旅先やバザーで買った、かわいいポーチは仕入れたと思って、月末のフリマに出そうと思っている。メルカリでいちいち送ったりするのはめんどくさい。現場派なのだ。

 f:id:sachi-studio:20200216150151j:image photo by Mado

今日明日は片付けに専念できる日、どこまで進むかな!

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